01
2016

なぜ今ビジュアルノベルゲームを作るのか?魅力とゆうひの生い立ちを記す。

CATEGORY雑記
昨今のゲーム界は2008年度から売り上げトップ10に
日本のゲームソフトは消え、ほとんどが海外のゲームなっています。

実際に僕も海外のゲームは多くやっていて、感じるのは今のゲーム業界に求められているのはハイクオリティのグラフィックとより精密にできた世界や物語を自由に操作できる「自由さ」だと思います。

オープンワールドなどはまさにその表れでほとんどの海外ゲームで
大きな売り上げを上げているものはオープンワールドになっています。

ちなみにオープンワールドというのはドアを開けたらすぐロードするとか、ステージごとに区切られてその外には出られないと言ったゲームではなく、ほとんどその世界のすべてを自由に行けるゲームのことです。


それに比べ日本市場に目を向けてみると、オープンワールドゲームというのはかなり少ない。

小島監督作品のメタルギア5ではオープンワールドを取り入れていますが、今の日本市場のゲームはアプリゲームが発展していてオープンワールドという予算も開発も難しいゲームよりアプリなど比較的リスクが少なく、ハイリターンなゲームを作ったほうが利益がでるのでしょうね。

それは、仕事が終わって疲れて家に帰ったサラリーマンがクリアに何時間もかかるゲームをするのより通勤移動中などで手軽にできるアプリゲームをするほうが良いってことでまぁそれを言ってしまっては元も子もないというか、じゃあ今の残業続きの日本社会の経済状況をいくら鑑みてもそれはすぐに変わることでもなく、ましてや僕のような大学生ニートがそれらについて提起する資格もあまりないと思いますがゲームを作って売るということを想定しているので、そういう今の状況を考えても損にはならないと思った次第でごぜぇます。

そんな中でじゃあなんでお前は今ビジュアルノベルゲームなんて時代遅れなものを作ってんの?ってことです(笑


ビジュアルノベルゲームは楽しいから。という至極単純で知能のかけらもないような答えはおいときつつ、まともに答えるとですね、

もちろん大前提としてビジュアルノベルゲームが好きというのはあります。今から7、8年前高校生の時にTYPEーMOONという会社(当時は同人サークル)が作った「月姫」をプレイしてからというものなんともビジュアルノベルが持つ魅力にはまってしまったんですね。(きのこ仕事しろ)

漫画のようにカットや絵の多さはないですが、文章表現により余りある人物心情の描写が作られていたり、アニメのようにぬるぬると動きはしませんが分岐による物語の展開が可能だったりと多種多様な表現が可能なんですね。


高校生の時に友人のすすめ(今の作曲者)で初めてノベルゲームをプレイしてみた僕は「俺もゲームが作ってみたい」と思いたち、高校内で友人達を誘い、同人サークルを立ち上げます。
当時は僕が絵をやり、他はシナリオ、音楽、プログラミング、絵のアシスタント、ゲームの進行を管理するチーフの計6人でスタートしました。

しかし高校内で集めたメンバーですから当時の企業と戦える能力なんてあるわけなくてゲーム開発の進行は遅れまくっていました。

シナリオが上がらない、音楽も上がらない、プログラムにいたってはプログラムをしたことが今まで一度もない状態でした(笑

車で言えばカーナビがないのに夜の獣道をひた走る感じでしたね。

僕自身も野心だけが先走り、肝心の技術が追いついてませんでした。
ですが高校生の当時、僕は本気で今のノベルゲーム市場で売り上げトップになるにはどうすればいいかを友人達に語っていました。
(今考えれば、みんなで必死にバイトしてすべて外注にすればよかったと思っていますが(笑))

絵の表彰をされたり美術では常に最高評価をもらっていたという小さい世界で成功を経験した己の才能に慢心していた僕が当時ゲーム作りでとても大きな壁にぶち当たります。

それはデジ絵と呼ばれる二次元の可愛い女の子を描くことでした。

今ではわかるのですがまずペイントツールの使い方すらちんぷんかんぷんでレイアーってなにそれおいしいの状態でした。

ペン入れという下書きを一本の線にする作業があるのですがそれが苦痛で苦痛で耐えられない作業でした(今も苦痛ですがね)

しかし僕はなんのことはないと当時売れているイラストレーターさんの
絵などを平気で批判する考えを持っていました。

自分の才能に酔うあまりに一流の人の考えや今市場に出回っている物について全く学ぶ気がなく、当時は本当に「根拠のない自信」がありまくっていました。

はたからみたらこいつはどこに向かおうとしているのだろうと思ったかもしれません。


今も根本にあるものは変わらないと思いますが、全て学びながらやろうとはしています。(笑

そうです。世の中いきがっているだけでは結果は出ないのです。

そして僕が思い描いたゲーム製作は作品ができないという事実で打ち砕かれます。

高校3年時レストランで友人達に解散宣言をしました。
そして一旦僕はゲーム製作から離れ大学受験の浪人生として3年もの月日を浪費することになります(笑

ぶっちゃけた話、当時はゲームを作るというのは目標ではあったんですが気の合う友人達でひとつのものに挑戦するっていうのが楽しかったっていうのもありました。当時はゲーム作り以外にもバンドだとか草野球、麻雀、動画などをネットで上げることはしてませんが
動画取ったり今でいうユーチューバーみたいなことををやっていました。

そして3年後、大学受験を終えた僕は何か大きなことがやりたいと思い
貿易ビジネスをすることにしました。(笑


が楽しいとは思えずに、途中でやめて漫画家になろうとしました。

ー②に続く



関連記事

0 Comments

Leave a comment