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2016

「天空の城ラピュタ」の秘密に迫る。ラピュタの歴史、宗教観、没落した理由を考えてみる。

CATEGORY映画

こんばんわ。ゆうひのぼるです。

今日は首のこりの違和感が軽減されて久しぶりに体が軽いなと思う一日でありました。

さて先日「天空の城ラピュタ」をもう一度観ました。
もう紹介する必要がないくらいの知名度があるジブリのこの作品。

宮崎駿監督によっててがけられたこの作品の何が凄いのかを少しばかり紐解けたらと思います。

もちろん私の独断と偏見がありますのでそういうのが苦手な方はご注意ください。
あと一度も観てないって方はネタバレになりますので一度DVDをご覧になったほうが良いと思います。

宮崎作品には影が少ない。

これ気づいたの私だけでしょうか?
いや違うと思います。おそらくアニメーターであるほとんどの方やイラストレーターや絵描きの
方、アニメに詳しい方は気づいたと思いますがラピュタに限らず宮崎作品に登場するキャラクターの
影って少なくないですか?

影とはつまり色合いに置ける影のことですが、ほとんど2色で3色いれてないんじゃないでしょうか。

調べると、対談の時ににプロデューサーの鈴木敏夫さんが「宮さんは影を入れたがらない」という旨の
発言をしていたから多分本当だと思います。

キャラクターをシンプルに見せるためか、作業量を減らすためなのか、
おそらくはデティール的な意味合いが強いでしょうね。

宮崎監督本人がプロフェッショナル仕事の流儀というDVDの中の発言で「ディティールが全て」
と言っていたように、自分が描きたい絵ではなくて絵的に映えるようにするためにはどうすれば
いいのかの工夫のひとつではないでしょうか?

こういう絵って一見、シンプルで奥行きのない絵と捉えられがちですが
時代に絵柄などが囚われないような気がします。
ジブリ作品の映画ってナウシカだったら80年代ですか。
80年代の他の絵って、特にキャラクターですが今見るととても古臭く感じるんですね。
驚くことにジブリにはそれがありません。

時代に左右されないように普遍的な世界の共通項を踏まえつつ見せやすくしているからなのではないか思います。
普遍的な世界の共通項とは例えばやたら目を大きく書いたり派手な色をわざと使ったりしないことです。
ありのままの世界のデフォルメしておとしこむから古いと感じないのですね。

ここにも宮崎監督とジブリスタッフの凄さを感じますね。


ラピュタの歴史の謎


ラピュタとは古代に卓越した技術力を背景に世界を支配した巨大帝国です。
そしてその帝国ではラピュタ人によって作られた飛行石という浮力を持った
建物や島により地上を捨て空を漂うようになりました。

そもそも飛行石を作ったのはなぜなのか?

おそらくは当時発達した技術力を背景に度重なる戦争が起こったことが予想されます。
それは映画でもパズーの故郷の丘にある無数の砲弾の跡からも推測できます。

そして戦争では制空権を掌握したものがとてつもない有利をえることができます。
なぜならば空からの攻撃というものは地上からの攻撃に比べて対処しづらいためです。

ラピュタ人はそこに目をつけて地上の土地の利権に左右されない軍事国家を空に作ったのでは無いでしょうか。
空から全世界にいつでもロボットやラピュタのいかづちで攻撃できるようにしました。
それは言うならば空中装甲空母のようなもので飛行石という永久機関のようなものさえあれば
とてつもない威力を発揮できるものと思われます。

ラピュタの王は女系

ラピュタの王は女系。つまり女王が国のトップにたち指揮することになります。
おそらくは独裁国家だったのではないでしょうか?
独裁国家の場合、女の人がトップにたったほうが混乱が少ないと聞いたことがあります。
まぁ単純に宮崎監督の趣向かもしれませんが興味深いですよね。


繁栄したラピュタはなぜ没落したのか?

映画後半にシータがムスカに説教する場面がありシータが教わった歌に答えが隠されています。
それは春を鳥と共に歌い土と共に生きようというような歌ですが
これはラピュタの人が地上に生きることを願いそれをみらいのラピュタ人が同じ失敗をしないように
歌として残したものでもあると推測されます。

なぜラピュタ人は飛行石を壊さずに代々残し続けたのか?

なぜラピュタの人は過去の失敗から地上で生きることを決意したのならば
飛行石を壊さずに代々伝えて言ったのでしょうか。

しかも滅びの言葉「バルス」や
「リーテ ラトバリタ ウルス アリアロス バール レトリール(我を助けよ。光よ取り戻せ)」
をちゃんと伝えてもいます。

おそらくは未来のラピュタの女王を守るためでもありますが
石を壊さなかったのは過去の罪をなかったことにせずに
自分達の血を引いた人たちにわかってもらうためだったのではないかと思います。

故に石を持って「バルス」と唱えるだけでラピュタが崩れ落ちる魔法の言葉や逆に
少し長い言葉ですが自分を守るための言葉を残したのではないかと思います。

ラピュタの罪を知りたければ石が指し示し、少しがんばる必要がありますが
実際にラピュタに行くことができます。そうして過去自らの先祖の文化や思想などをしることによって
ラピュタを壊すのか、再び王家を取り戻すかの選択を未来に託したのではないかと思います。

でなければわざわざ光でラピュタの場所を指し示すようにする理由がないんですよね。
「バルス」といえばすぐラピュタが破壊されるようにする理由もありません。

ラピュタ人は地上に戻り、歌と共にそれが正しいことだと未来に伝えたかった。
しかし過去をなきものにすることはできない。
よって王家の人間に石を託しその判断をさせようとしたのではないでしょうか。

私がみえてくる情景は繁栄が極まり安定化した時にはすで数え切れないほどの人間が死に
ラピュタの人々が望んだ世界ではなかったと思われます。
故に意図的に空を放棄し技術を封印したのだと思います。
それは過去の過ちをくりかえさないこと一点です。

飛行石とはその最たるものでないかと思います。

ラピュタの内部建築や様式から読み取れること。

先進的な建築様式を次から次に取り入れていくというよりは
飛行石という永久機関をいかに使えるかに特化した構造をしていると思います。
バルスという言葉をとなえ、建物が落ちる時に
つぎはぎがないツルツルの岩どうしがそのままくっついていたような感じ
にみえました。
おそらくは建物自体が飛行石を中心にして設計されていて、飛行石という永久機関がある以上
それ以上変わる必要がなかったのではないかと思います。

王家だけが入れる神殿内部の古いロボットの形も全然変わっていないように思えます。
時代が変われば思想も変わるし人々が作るものも変わるものですがそれは環境が変化するためです。

環境が長らく変化しなくても大丈夫だったラピュタでは変える必要がなかったと思われます。
ただ、いきなりあらわれるドアや内側からしか外を見ることができない壁などは
飛行石の影響ではなくで卓越した科学技術力に裏打ちされたものだと思われます。


ラピュタ人の宗教観は?

個人的にラピュタは独裁軍事国家だと思ってまして
女系の王などから言ってある種の宗教があったと思われます。
それはラピュタ内部の金庫にあった鹿の頭のような金の像などもそうですが神のような崇められる存在がいて
それはあのロボットの姿に似ているものなのではと思いました。

それは「玉座の間」の前の通路であきらかにロボットではない像がいくつかあったのですがそれがロボットそっくり見た目をしていました。
これを見た時私はイースター島のモアイを思い出しました。

イースター島では自分達の守り神としてモアイという像が建てられました。

なのでラピュタ人が信仰する神を模した守護神としてあのロボットが作られたのではないでしょうか。
だから石で「我を守れ」と秘密の呪文を言うとロボットが神の使いのように助けにきてくれるのではないでしょうか。

ラピュタがゴリアテを攻撃するときに無数のロボットが出て行ったのもそういう背景があるのだと思い
なにより決定的だったのが大きな無数のロボットたちが埋葬されているシーンです。
もちろん石版になんと書いてるのかは宮崎監督にしかわからないのです。

そしてロボットが動かなくなったロボットを埋葬しているのか、昔のラピュタ人が埋葬していたのかはわかりませんが
ロボットが埋葬されるプログラムをしたのはラピュタ人であって

埋葬する、しかも本来無機物であるロボットを埋葬するのはおかしなことです。

なのでラピュタ人にとってあのロボットはただたんに殺戮するためだけの兵器ではなくて宗教的にかなり強い
情念をかかえた守り神のようなものだったことが推察されます。

ムスカの目が金色をしているのは?

ムスカ大佐の目が普通の色でないことに気づいたかたはいるでしょうか?
彼もラピュタの血をひくものです。
そして彼は目が悪いという身体的障害を負っています。
このことから私はラピュタの人々は王家の権力を分散させることをおそれ近親相姦を繰りかえしていたのではないかと思います。

シータにその特徴があらわれないのは彼がウルという家系でムスカがパロという家系から推測ができますが
おそらくパロの家系はラピュタ存続のために利権を守るというタイプで

シータのウルという家系はラピュタが存続することを危ぶみ地上に降り今までのことから一新させようという
家系だったこと、そしてウルのシータにラピュタの秘法である石が伝わっていることからウル派が争いか何かに打ち勝った
のだと思います。

パロ派はラピュタを再び復興することを望み伝承を通してラピュタの文字や石のありかなどを記して
伝えていったのではないかと思います。


まとめ

というかこれだけのバッググラウンドが内包された作品を作品として
完成させた宮崎監督はやはり凄いとしかいいようがないですよね。

それてラピュタのことはこの映画のことだけにとどまらずに現代を生きる私達の世界
とリンクさせていることも興味深いです。

だから人々は無意識のうちに共感しているのですよね。

うーむ。考え深い。

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